ボランティア、って、言いますよね。
辞書などでは、「無料奉仕する人」などと書かれています。
大震災や火山の噴火などの災害時には、頼もしい味方ですし、
日常でも、地域の福祉や環境整備、図書館の司書など、
ボランティアとして頑張っておられる方は、大勢いらっしゃいます。
コンピュータの世界でも、インターネット自体の運営は、ボランティアの力が大きいですし、
身近なところでは、例えば「ネットディ」も、ボランティアによって行なわれています。
ボランティアにも、色々な形態が有ると思いますが、
例えば、ネットディとか、図書館の司書などのボランティア、って、
何をするのが良いのだろう、と、考えています。
ボランティアが何から何まで全部してあげれば、してもらった方は楽です。
けれども、それでは、してもらった方は、これからもずぅっとボランティアに頼りきりです。
場合においては、それを当然と思い、「経費が浮いた」と考え、不平不満を言って来るかもしれません。
それよりも、ボランティアは、してあげると同時に、その仕方も教え、
最終的には、ボランティアが居なくともそれが出来る様に仕向ける、
このことが、本当は大切なのでないかと思っています。
とても難しいことだと、思いますが...
( '00/12/19 記す )
毎年、夏になるとやっている「愛は地球を救う」24時間テレビ。
あれって、企業による一種の「慈善事業」なのだろうけれど、
「ボランティア」ではありません。
少なくとも、出演者に相当額(かなり良いらしい)のギャラが支払われ、
番組中にCMが有り、
最後にスポンサーの名前を読み上げる「ボランティア番組」は存在しません。
贈られた車にもしっかり番組の宣伝が付いていますしね。
スポンサーからの資金によって番組が作られ、
ギャラが支払われ、
その見返りにCMが流され、企業イメージの向上効果を期待している、
という観点からすれば、他の番組と何ら変わるところはないのです。
ちなみに、
番組中で視聴者から集めた金を寄付していますが、
もし番組自体の収益を寄付してはいない(つまりTV局が自分の腹を傷めていない)ならば、
それはチャリティー番組でもありません。
特に、2000年辺りから、
「自分達が愛だ、正義だ」といわんばかりに「正義」を振り翳し、
野球中継であからさまに片方の野球チームを正義に仕立て上げる放送をして
障害者から呆れ果てられ、
当の番組の野球解説者にまで
「相手チームのファンも見ているのだからそんな言い方しなくてもいいじゃないですか。
野球を楽しみましょうよ」
とまで言わしめたり、
司会者やアイドルタレントが
障害者に対して不躾で不用意な発言を乱発させてヒンシュクを買ったり、と、
単なる「障害者をネタにしたショー」の傾向が強く感じられます。
勿論、障害者の為に募金をすること自体は、素晴らしい行為であることに間違いありませんが、
あの番組によって、日本の「ボランティア」のイメージって、
かなり歪められているんでないかなぁ...と、感じます。
例えば、先日の新潟や福井で起きた豪雨による水害では、
多くのボランティアが活躍しています。
毎日汗だくで、ドロだらけで、決して華やかでも何でもないけれど、
「自分が出来ること」を、しっかりと頑張っています。
或いは、日常的に、貴重な自分の自由な時間を使って、
地域の為にボランティア活動をしている人達もいらっしゃいます。
私は、そんなボランティア達を尊敬しています。
結局、ボランティアって、決して、華やかなものでも、
「愛」だとか「正義」だとかいう大仰なものでも、
マスコミという大きな権力から一方的に押し付けられるものでもなく、
もっと身近な、人と地域との双方向のお付き合い、
コミュニケーションでないかなぁ、と、感じます。
( '04/08/15 記す )
何だか、文章がまとまっていませんね。
まだ、続くかもしれません。