キーワード辞典
思考の制御

登録日 17/06/22   更新日 17/06/22



協働学習においては、「教師は透明であるべき」という意見が有ります。 生徒の思考活動に任せ、教諭は出しゃばるべきでは無い、という発想です。 それも手法の一つとしてアリだと思いますが、必ずしも、という違和感も持っています。

例えば、 ネットのマナーやモラルについて考える「高校生 ICT Conference」という取り組みが有ります。 此処では、初対面の生徒達が幾つかのグループに分かれ、KJ法による議論をするのですが、 議論の前には、事業者の人達によるテーマに合わせた簡単な話が3つほど行われます。 サミットでは、全国の各会場の生徒自らが、報告を行います。 このことで、参加者全員の、議論における共通の素が出来上がり、 また、テーマ(目的)が明確になる事で、その後の議論が噛み合い易くなります。 議論の素や目的の共通認識が出来ていないと、その場での思考は、噛み合わなくなります。 議論の際の思考の素って、重要だと思っています。

また、「高校生 ICT Conference」では、議論中は、 グループにファシリテータが付き、さらに、事業者の人達が会場内を回っていて、 何時でも、議論中の疑問などについて応えられる様になっています。 ファシリテータや事業者の人達が、出しゃばらず、全く透明にもならずに居る事が、 重要だと思っています。

この辺って、その場の生徒の思考力や学習意欲などによって臨機応変な対応が必要となるので、 物凄く大変だな、と、思います。



まぁ、私にとっての「透明な教諭」は、 居ても実質何もしなかったり、 授業開始後5分で終わる様な課題を出して直ぐに何処かへ行ってしまったり、 そもそも授業に出て来なかったり、で、 全部助手に押し付けて管理職の茶坊主して知らんぷりしている教諭ですかね。 普通に居ましたね。此処も分析すると色々と興味深いのよ。





[ 赤い玉の画像 ] 「キーワード辞典」の目次へ

[ 黒板消しとチョーク受けの画像 ]