キーワード辞典
教科「達成感」

登録日 16/06/27   更新日 16/06/27



以前にも何度か書いた記憶が有るのだけれど最近また気になり出してしまったので、リニューアル再掲載。
上記日付現在の、あくまでも私の私感です。 この言葉に自己陶酔している商業系の教諭、物凄く多いと確信しています。
他教科では、(当然前提として意識はしているけど)殆ど前面には感じない。


商業教育の世界では、ウンザリするほど「達成感」という言葉が氾濫していて、
しかも、どの様な商業的な科目の学び(簿記や、情報処理や、マーケティングや、など)から来る、 どの様な達成感なのか、それをどの様に次へ繋げるのか、
を具体的に詳細に説明されたことは、未だかつて、一度も無い。(断言!)
紛らわしくて迷惑だから、いっそ教科名を「達成感」に変えたら良いのではないかと提言したい。


「達成感」って、便利な言葉です。 商業系の何かの取り組みの発表では、成果として最後に必ずと言って良いほど登場します。 これを取り組みの成果の第1位に挙げる場合や、これしか言わない場合も普通に有ります。 この言葉を〆に使うと、内容は「?」でも、何だか凄い取り組みだった様な印象にさせられます。 私には結構違和感が有ります。 取り組みの目的が達成感なのだろうか、と。 内容について生徒に直接質問したい衝動に駆られます。

経験上、上記の様な取り組みの多くは、 「教諭に言われた通りに作業しただけ」や「生徒がしたことにして実は教諭」だったりしています。 他に言う事が無いから、これを強調しているのです。

商品開発でも、地域の活性化でも、プログラミングでも、 英語プレゼンでも、熟議でも、数学や理科の問題でも、 あらゆる取り組みには各々に具体的で細かな学びの目的が有ります。 その各々の目的は勿論「達成感」では有りません。 それらの目的が遂げられた時、全ての教科、全ての取り組みには、例外無く「達成感」が有ります。 達成感によって生徒各々の自己肯定感や学びの定着が強くなる事は十分に理解していますが、 極端に言えば、取り組みに達成感を持たせるのは大前提で、 (小学校でも中学校でもない)高校の取り組みの発表で、 それを殊更に、最重要成果として安易に強調するものなんだろうか、と、思います。

何よりも、 取り組みの最重要事項を「達成感」で片付けてしまうと、 現在の自分の力の問題点の的確な認識と反省が蔑ろにされ、 課題に対する問題解決能力の育成にはならなくなるんだよね。

「達成感を生徒に如何に持たせるか」についての発表ならば、 それは、別の分野ではないかと思いますし、それについても、説明されたことは無いです。 つまり、何のメイキングも無く、新聞の大見出し的に、こんな事やりました!達成感!だけです。 いえ、マジで。

「成功体験」や「達成感」にも色々有る。 他人から言われた通りの事を、考える事無くそのままやり遂げた「成功体験」「達成感」。 自分や仲間で考え試行錯誤しながらやり遂げた「成功体験」「達成感」。

自分で判断するのではなく、誰かに言われた通りの事をする事によって得られる「成功体験」「達成感」。
商業高校での「成功体験」や「達成感」を身に付けた生徒が、 イマドキの「やりがい搾取」なブラック企業に就職したら、大変だろうなぁ...

でもって、卒業後、上手く行かなくて、生徒が、教諭に愚痴を溢しに来ると、 教諭は、生徒は卒業後も未だ自分を慕い頼りにされている、と、自己満足している場合も、有る模様。


最近(登録日基準)、某学会で、 「(教科「情報の」)プログラミングの目的は論理的思考ではなく(それは数学の授業ででもすれば良い)、 何よりも達成感だ」と断言された、 その手の本まで出版されているというA県のM教諭とお会いして、物凄く面食らいました。 彼に因ると、どうせプログラマになる訳でも無いのだから、「自分で出来た」事が最重要で、 アルゴリズムの正しさも、プログラムが多少スパゲッティでも、 他者からのコードの見通しの良さも、全く頓着しないそうです。 私の立ち位置では本末転倒だとしか思えないのだけれど、 そういう考え方をする立ち位置の人も居るという事でしょうね。ふむ。





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