私は、 国の異なる学生生徒に対し、 従来の様な「友好」「友情」と言った耳触りの良いレッテルの下で ニコニコ笑って浴衣着てパチリ、的な国際交流では無く、 時には対立も起きる様な議論をコーディネートし、1つの意見にまとめ上げてプレゼンテーションをさせるというプロセスを大切にする、 WYM/ASEPの先生方を、とても尊敬している。
教諭が物凄く大好きな「みんな仲良く」が、 時として、やりたい放題の相手に対して仲良く出来ないことに戸惑っている側を、 故意に一方的に悪者にし、 事勿れ或いは利益誘導でトラブルを棚上げにする為の、 教諭の自己満足と都合の良い綺麗事のインチキであることは、 「(安易な両成敗で)先生に強制的に謝らされたが、俺は絶対にアイツを許さない」とか 「同級生に罪を擦り付けられ、その後当事者だけで和解したが、その過程での教諭の対応が物凄く酷かった件」 などという書き込みが日常的にネットに溢れている程度に、 今では小学生でも理解している。 これが「対立をすること自体が悪」な体質へと誘導されている事も。
大切な事は、
仲良くする為に、トラブルを棚上げ、有耶無耶にするのではなく、
根本的にトラブルを解決することで、仲良くなること。
友達だから仲良く? 仲が良いから友達?
此処を本末転倒して「俺の善人性、カッコイイ?」的に自己陶酔している教諭も、物凄く多い。
永年の経験上、その特徴としては、
まず、真実の自分を知ること。そして、真実の相手を知ること。
その上で、相手にレッテルを貼るのではなく、
阿るのでも妥協するのでも過度に排他するのでもなく、
自分と相手との距離間隔を臨機応変に自分でコントロールすること。
これも、コミュニケーションの一つ。
...なんて偉そうなこと書いているけど、私自身もとても難しい。