「多様性」は、双方の利害関係が侵される事無く、 双方が折り合える場合においてのみ、成立する。
「多様性」って、物凄く都合の良い言葉として安直に言われているけど、
決して、一方的な価値観や文化の押し付けや、
なし崩し的な「何でもアリ」「有耶無耶」な「無法地帯」ではない。
各々の立ち位置を明確にした上で、
それをルールに照らし合わせ、お互いがWin-Winである様に考慮し合うこと。
駄目な事はダメ。
これが、大前提。
お互いの文化の違いを知ること。
お互いの文化を認めること。
お互いの文化を共有すること。
お互いの文化を融合させること。
この4つは、全く意味が違う。
(1)
例えば、私は目玉焼きに塩胡椒を掛けて食べるのが好きだが、
排他的に、他の全ての人にもそうしろとは、決して思わない。
誰が何を旨いと思うか、なんて、その人の味覚の問題で、
誰もが、醤油でも、ソースでも、ケチャップでも、
好きなものを掛けて食べれば良いと思うし、
私の味覚が絶対正義だなんて思っていないから、
それを馬鹿にしようとも思わない。
他人から
「醤油だって美味しいんだよ」と言われて掛けて見て
「これもアリかな」と思えば、醤油でも食べる事も有るだろうが、
「塩胡椒なんて舌が馬鹿なんだな、醤油に決まっているだろ!」
と言われる筋合いは無い。
(2)
エスカレーターは、本来は、歩かず、中央に立ち、両手で掴まるのが最も安全で、機械にも優しいらしいが、
日常的には、歩いて追い越す他人の為に、地域によって、右に立ったり、左に立ったりする。
私も、全国彼方此方を徘徊する時は、
その地域の立ち方に従ってエスカレーターに乗っている。
それを、「本当は中央なのだ」とか「国際基準は右だ」「俺は左だ」とか、言い出すと、
急いでいる人が追い越せなくなり、大混乱する。
誰がどの様な主義主張でも全く構わないのだが、郷に入れば郷に従え。
(3)
例えば、ソフトウェアの不正使用は、他人に不利益をもたらす犯罪。
「生徒の為だ」などという価値観は通らない。
それだけのこと。