以下の話は、このサイトの初期の頃からずっと彼方此方で書き続けている事なのだけれど、
結局、20年間、何も変わっていないんだなぁ、という思いと共に、何度目かのリニューアル再掲載です。
今も昔も、「課題が終ったら何をしても良い」実習授業というのが存在します。 全ての場合、生徒は何の目的も無く、 ネットで動画を見たり、音楽聴いたり、ゲームをしたり、雑談したり、寝たり、 最近はSNSをしたりしていますが、 教諭は全ての場合において、生徒に「話の分かる」態度をしています。 これって「授業」なの?「授業」というものをどう思っているの?と真剣に思います。 この教諭達の授業計画書を見たい衝動に駆られます。
上記の様な教諭は、「授業」を非常に軽く見る傾向が有ります。
多くの場合、出した課題も真剣に見ていません。最後の振り返りも有りません。
生徒も、教諭に相手にされていない、と判っているので、
適当に5分程度で終わらせ、後は上記の状態になります。教諭も楽なので、放っておきます。
調べ学習やグループワークは、テーマを指示しただけで、何の基礎ネタもファシリテートも無く、
発表も振り返りも無く終了します。
生徒も、何処まで突っ込むのか加減が判らないし、中学校でもっと真面なものをやって来ているから、
極一部の生徒が適当に5分で終わらせ、後は自由に遊んでいます。
それでも教諭は「主体的対話的で深い学びの授業」を実践したことになるのです。
授業中に直ぐ居なくなり、何か有ると全て助手に責任転嫁するのも、このタイプです。
「~について調べよ」「~について議論せよ」という課題は、 5分で終わらせることも出来るし、50分かける事も出来ます。 生徒に、如何に、5分で終わらせず、50分かけて、 その課題に興味を持たせ、疑問を持たせながら調べさせ、議論をさせ、 発表と振り返りによって次への学びに繋げていくのか、が、教諭の手法、持ち味 だと思うのですが、一切、有りません。ず~っと、ほったらかし。 時間が来たら紙を回収してお終い。
因みに、 「授業時間が余ったから」 「(学期末などで)今日はすることが無いから」 何をしても良い、というのも、普通に有ります。
教諭曰く。
「やったことにしておけば良い」
「どうせ生徒には役に立たない」
「どうせ生徒には意味が無い」
「どうせ生徒は理解出来ない」
「どうせ~」「だって~」
生徒曰く。
「どうせ~」「だって~」
そして、年に5回、予め提示した幾つかのワードに対する、
疑問が付随しない競技カルタの様な考査が行われるのです。