今、「匿名」の時代なのでしょうか?
町へ出ると、派手なコスプレやファッションをした若者が歩いています。
「それは”自分”を表現しているのだ」と、言われれば、そういう人も確かに居るのでしょうが、
大部分は、某アイドルと同じだったり、某シロネコを抱えていたり、
某有名アニメーションの人気キャラクターの衣装だったり、
或いは、ただ単に目立ちたがりなだけだったり、と、
”自分”以外のものに対する執着が強い様に思われます。
他の誰かと非日常的な同じ世界を共有する事によって、安心するのかも知れません。
若者に、「伝言ダイヤル」が人気です。
ズルズルと後を引かない、「その場限りの出会い」というのが、
「面倒臭くなく」て、受けている様です。
付き合いが長ければ長いほど、お互いの”自分”が見えて来る。
そういった付き合いがうっとうしくて、敬遠されている様です。
インターネットの個人Webページでは、「日記」が人気です。
不特定多数の人たちに向けて、自分の日常を書く。
読む人は、自分のことは知らない。
自分も、読む人のことは知らない。
お互いに知らない者同士が、好きな時だけネット上でのみ知り合う。
全くの他人に面と向かって自分の直筆の日記帳を見せる人は、
あまり居ないでしょう。
インターネットのWebページでは、「掲示板」や「チャット」も人気です。
誰もが好きな時に匿名で好きな事が書けます。
飽きたら、消えれば良いのです。
ある大学の校内で、
匿名で投稿出来る「掲示板」と、必ず本名が表示される「掲示板」があった時、
匿名の掲示板は盛り上がっているが、本名記名の掲示板はさっぱりだった、
ということがあったそうです。
最近、掲示板やチャットでは、
所謂「アラシ(荒らし)」によるトラブルが増えている様です。
関係者や常連者に対する揶揄、中傷、暴露、一定時間(秒単位)毎の自動投稿、
常連者になりすましての発言、等など。
ハンドル名しか表示されないタイプの掲示板やチャットでは、
どれが常連者の発言で、どれが常連者を騙った「アラシ」の発言なのか、
見た目には判りません。(サーバを調べれば判ります)
被害を受けた常連者を皮肉っぽくフォローしている発言が、
実は「アラシ」のものだったりします。(勿論、ハンドル名は毎回変えている)
セキュリティのない掲示板やチャットでは、1度投稿されれば誰でも読めますし、
それが検索サーバに自動登録されれば、その影響は非常に大きくなります。
インターネットの「匿名性」は、決して悪い事ではありません。
インターネット上で自分の「プライバシー」を守るための「匿名性」は、非常に大切です。
「日記」や「掲示板」「チャット」も、決して悪い事ではありません。
「匿名」だからこそ話せる”自分”も有ります。
そこから始まるコミュニケーションもあるでしょう。
でも、ごく一部で「匿名性」が強調され、安易に解釈されている様な気がして、
寂しい気持ちがしているのです。
( '99/5/16 記す )
今、日本語はかなり乱れている?
最近は、「口当たりの良い言葉」が受けている様です。
「周辺有事」の「周辺」は「周辺装置」の「周辺」より酷く曖昧ですし、
トト カルチョを「サッカーくじ」と言ってみても、
それがギャン ブルであることには変わりがありません。
同様に、「盗聴」を「傍受」と言い換えてみても、
実際にしている事は、紛れも無く「盗聴」です。
少なくとも私個人にとっては、
アマチュア無線は「傍受」、電話は「盗聴」であるという意識があって、
たとえ、いかなる理由が有ったとしても、
送信者、受信者ともに、傍受されることを望んでいない、
本来守られるべき通信の内容を他人が知るのは、違法です。
(アマチュア無線の免許を取得する時、そう教わりましたよ... 郵政省さん。)
一見、普通の人には関係無さそうですが、
「犯罪防止」という名目は、犯人と確定していない人に対しての盗聴を可能にします。
松本サリン事件の時、犯人と間違えられた方がいらっしゃいましたが、
もし、この法律が成立していれば、彼も盗聴されていたかもしれません。
この場合は、「犯人と間違えた」のですが、
ちょっとした理由さえこじつけられれば、「盗聴」は可能です。
(「盗聴」と言う位だから、本人は当然知らないうちです)
また、知らないうちに、盗聴されている人へ通信している可能性も出て来ます。
国民のプライバシーを政府が管理する訳です。
国民総疑心暗鬼。
最近は、矢鱈と政府がマスコミに対し、
「盗聴」と言うな、「傍受」と言え、とか、
ニュース番組の放送内容について口を出したり、とかするのは、
その内容の真偽を別にして、恐ろしいものを感じます。
今にマスコミは、政府の気に入った内容しか放送出来なくなったりします。
「国旗」「国歌」「周辺有事」「国民総背番号制」「盗聴法」。
字面を漠然と眺めていると、なんだかね...
という話は、このページとは関係無い話なので、書きませんが...
う〜ん、Webページに、こんなこと書いていると、
「怪しい奴」にされるのかな...
( '99/7/16 記す )
大企業Tと一消費者A氏とがインターネット上で商品サポートについて争った事件、
実は、私が知ったのは、つい最近のことです。
で、遅れ馳せながら、あちこちWebページを読み漁ってみたのですが、その感想は、
「これは、不特定多数のインタラクティブなワイドショーだな」
でした。
「事件」自体の事は、この際、置いておきます。
「A氏は苦情屋や否や?」という事も、無視します。
と、言うより、そんな事より以前の問題だと思っているのです。
私が気になるのは、
A氏が自分のWebページに書いた事項が、
何時の間にか、A氏の思惑を離れ、一人歩きをしていることです。
匿名による無責任な投稿が相次ぎ、どんどん噂や憶測がふくらんでゆき、
お互いの揶揄、中傷、個人情報の流出、などが起きました。
真面目に取り上げているWebページも多く有りましたが、
おもしろおかしく書きたてるWebページも一部に有った様です。
最後にはマスコミまでが書き立て、大騒ぎになりました。
このような騒ぎをA氏は望んでいたのか、私には判りません。
A氏は、インターネットによって、自分の目的を(ほぼ)果たしたのと同時に、
インターネットによって、ワイドショーネタの餌食にされた様な気がしています。
こんな状態では、「インターネットによって、一個人が大企業に対抗出来る様になった」とは、とても言えません。
今回は、たまたまA氏だっただけです。
例えば、健全な一消費者であるあなたが、
大企業からいわれ無き暴言を受け、真剣に悩み、同様なWebページを開いた時、
心無い、或いは悪意の有る、揶揄、中傷によって、同様な騒動になるかもしれない、としたら、どうしますか?
私は、
「当事者以上に、外野が騒ぎを大きくしている。」
「お互いに言い合っているだけなので、どの情報が正しくて、どれが正しくないのか、判らない。」
「結果、情報が情報を呼び、泥沼化している。」
「飛び交う情報の漠然としたイメージだけで、"正義"を振りかざしている。」
と言う点で、「サッチー騒動」とダブります。
インターネット、大丈夫か?
( '99/9/1 記す )
好きな時に、何処ででも、自分の好きな音楽が聴けて、
好きな時に、何処ででも、自分の好きな相手に電話がかけられて、
好きな時に、何処ででも、自分の好きなTV番組を見る事が出来て、
好きな時に、何処ででも、自分の好きなジュースが飲める。
例え、それが満員の路線バスの車内でも、
授業中の教室であったとしても。
こんなに沢山の人が居るのに、みんな自分の世界の中。
嫌なものは見たくない。
嫌なものは聞きたくない。
嫌な人とは話したくない。
一人一人は、便利になった、かも、しれない。
でも、コミュニティは、不幸になった、様な、気がする。
他人に気を使う事も、必要もなく、自分の不都合は全て他人の所為にする。
「ムカツク」
「キレル」
「何処で、何しても、ボク達の勝手でしょ」
「他人」は、自分の興味の範囲外になっていく。
恐らくは、ロールプレイングゲームのザコキャラと同程度に...
( '2000/6/2 記す )
某日。
私が参加しているかなり大きめなMLに、某学校の研修会の送信練習のメールが大量に流れた。
殆ど全てのメールの本文は、いわゆる「初めてのメール」状態で、
MLの名前を全く勘違いしているものも何通か有った。
研修会の責任者曰く、
「私達初心者はネチケットを守ろうとすると何も議論出来ない、だからやった。」
MLの参加者の一人曰く、
「微笑ましくて、良いんじゃないの」
議論するのは、全く構わない。
その行為が意図的でなければ、多少のミスをお互いに許し合うのも、「思いやり」のうち。
でも、それが、大規模なMLに大量の練習メールを出しても良い理由になるのだろうか?
「教育の為なのだから何をしても良い」
「自分達は初心者なんだ、だから何をしても許されて当然」
なのだろうか?
「微笑ましい」なんて言うのは勝手だけど、
それなら、とばかりに全国の学校の研修会で同様の事を始めたら、
MLは存続不可能になりますよ...
何だか、根深いなぁ...
でも、最近、似た様なこと、結構有るんです...
( '2000/7/14 記す )